校祖の命日 

2016.09.27 学園通信

三田学園の校祖、小寺謙吉先生のご命日にあたる9月27日(火)、全校集会を行いました。

松井校長先生から、次のようなお話がありました。「今日、9月27日は校祖小寺謙吉先生の命日です。少し先生のエピソードを話したいと思います。先生は20歳から10年間、米国のコロンビア大学をはじめ英国のケンブリッジ大学など欧米各国で国際法を学ばれ、帰国後は政治家として活躍されました。一方で「国を興し、民生を豊かにするには教育しかない」との思いから、明治45年に郷里のここ三田に英国の名門イートン校をモデルとした三田中学校を設立されました。

昨年の校祖命日に満州で創業した小寺洋行の話をしました。

弟の荘吉氏が満州で経営していた会社、小寺洋行が、第一次世界大戦後、情勢の悪化にともない莫大な負債を抱えることとなる。謙吉先生は、「弟の借財は自分の借財と同じだから、その責任は持つ」と、負債の肩代わりをされた。その時、三田中学の閉鎖を提案されたが、「自分の生命を賭した事業だから、これだけは断じて承伏できない」と強い口調で言い切った。その時、代わりに売却されたのが、神戸の小寺邸(現在の相楽園)であった。小寺家の危機にあっても三田学園だけは守られた。これは、先生の教育に対する思い、三田学園に対する思いを知ることのできるエピソードではないでしょうか。

ここで、明治45年4月8日、初代校長小寺謙吉先生の第1回入学式での挨拶を要約して紹介します。

『何のために勉強するのかということをよく知っておかなくてはなりません。中学校での教育は一口で言うと、常識を持った人物を養成することであり、さらに高等の学校に入学できる力を養うことなのです。

常識というものは、普通一般の事柄についての知識を備え、健全な感情と意志を備えているということです。中学校では、小学校に比べるとたくさんの学科があり、また、生活に直接関係のないようなものも勉強しなければなりませんが、これは健全な常識を養うために必要だからです。

けれども、人間はただ常識を持っているだけではだめです。将来大人になって社会に貢献するためには、一定の職業をもっていなければなりません。けれども、職業教育は、中学校の教育を終わってから受けるのが適当です。

わが三田中学校は、このような職業教育を授ける大学、または高等専門学校に進学する素養を作るところでもあります。私が本校をこしらえたのもこのような教育を施して、国家に貢献せんがためであります。みなさんはこのことを考えて、大いに勉強しなければなりません。』

何のために学ぶのか、それは将来、社会に貢献できる人物になるため。先生の思いを受け止めてほしいと思います。」

最後に、小寺先生のご遺徳を偲び、全員で黙祷を捧げました。

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