電球もないスラムの幼稚園で、鉛筆を配ってきた
ボランティアの目的は何だったのですか?
岡本 日本で集めた鉛筆や文房具を現地の子どもたちに配ることでした。ケニアではまだまだ物資が足りていないことを知り、学校で集めたメイド・イン・ジャパンの鉛筆を持って行って届けたい。そして、子どもたちの喜ぶ顔が見たい、と思いました。私の思いを実現するためには、まず募集活動を学校で許可してもらうことが必要で、高3の先輩と一緒に生徒会や先生に説明し、活動を具体化してその輪を広めることに努めました。※2. 毎朝立ち番して、学校の生徒たちに直接呼びかけることもしましたね。
1学期に募集活動をしていたのが、それですね。それで、実際にはケニアのどこへ行ったのですか?
岡本 首都から5時間程離れた田舎の町、ナニュキへ行きました。歩いても安全だと聞かされていたので、現地のスラムにある幼稚園で活動しました。日本から来た他の高校生も何人か一緒でした。それで、その町はボロボロな家ばかりで、豪邸と呼べたのは5軒程。電気が通っていたのもその豪邸だけで、スラムや幼稚園には電気は通っていなくて、そもそも電球がなかったのです。他の公立小学校へ手洗いや歯磨きを教えに行きましたが、そこも明かりは太陽光だけ。建物自体が壁も床も粘土で塗り固められていたので、ほとんど日の差さないような状況でした。
現地での活動は行く前に思っていたとおりでしたか?
岡本 道が舗装されていなかったり、子どもが裸足で歩いていたりという現地のイメージは予想どおりでした。ケニアには発展途上国という固定観念がありましたから、子どもたちは元気じゃないかもとか、なついてくれるかなとか、心配事はたくさんありました。以前、学校でJICA講演に来られた先生に「どうすれば、子どもたちに馴染んでもらえますか?」と質問したことがありました。先生は「子どもたちと一緒になって、同じ目線で自分も楽しめばいい」とアドバイスをくださいました。そんな心の準備をしていたので、現地では私も子ども目線になり、一緒に遊んでいたらなついてくれました(笑)。鉛筆を配る時も、子どもたちは「ワタシに!」「ワタシに!!」と次から次へと寄ってきてくれたので本当に大変でした(笑)。子どもたちには一列になってもらい、なんとか配り終えた後には、とても喜ばれました。
幼稚園や学校はどんな様子でしたか?
岡本 今、私の学年では生徒一人ひとりが各自で課題を決め、その解決方法を研究する授業に取り組んでいます。そこで、私は世界に存在する「教育格差の解消」を課題に選び、自分なりに実地検証する場所としてケニアへ行きました。現地では子どもたちの間にあるかもしれない格差を知るため、幼稚園の園長先生にインタビューしました。幼稚園では通園園児が70人いましたが、実はその倍以上の子どもたちが通園できずにいる。その子たちの親は月謝が払えないから教育を受けさせられない。通園園児の親にもアルコールやドラッグに依存している人がいる…そうしたひとつひとつの事実を知って、大きな衝撃を受けました。ケニアも初等教育(幼稚園・小学校)は義務教育化されていますが、「幼稚園なんて必要ない」と思う親が多いらしく、園長先生はとても困っておられました。
日本とは随分事情が違いますね。
岡本 はい。雨が降ると道路が未舗装のスラムには車で入れず、歩いて入りました。すると、道路脇では通園していない子どもたちをよく見かけました。ボロボロの服を着た一人の男の子が、スワヒリ語で「水が欲しい」と私たちに迫ってきました。友だちが水をあげましたが、その時に感じたのがその男の子と幼稚園に来ている子たちの目つきが全然違うということでした。家の仕事なのでしょうか、ゴミ袋を背負った兄弟姉妹たちも見かけましたが、そういう子たちは私たちにはまったく近寄ってきません。遠目でうらやましそうに、こちらを眺めているだけでした。
そんな子どもたちを見てどう感じましたか?
岡本 幼稚園の子どもたちはめちゃくちゃ元気なのに、通園していない子どもたちには笑顔がない。生活に必要なモノが足りなくて困り、うつむいている、目が死んでいるんだな。スラムの中にも格差があるのだな、と感じました。日本にはモノがあふれていて、食べ物でも平気で捨てたりします。だから、日本人にはモノ一つ一つのありがたみがわからないし、その幸せをいちいち感じることもありません。モノは足りていないほうが幸せなのかな?と思いましたが、一方でスラムでのこの光景を見て、それでもモノはあるほうがいいのかな?とも考えさせられました。
現地・ナニュキ「VISION STAR幼稚園」でのボランティア活動の様子(左)と、鉛筆をもらってうれしそうな子どもたち(右)